「役に立たないこと」を書こう

Minimal zen stones

ネット上の情報は玉石混淆。
誰でも匿名で投稿できるネット上の情報は信憑性に劣る。
情報収集のノウハウを説く書籍等でよく書かれていることです。

noteやブログで情報発信をしている身としては、痛いところを突かれているというか、肩身の狭い思いになるというか。
しかしまあ、ぐうの音も出ないところもあったり。

理屈はよくわかりますし、一つの心得として頭の片隅にも置いています。

しかし、これを考えすぎると、何も書けなくなってしまいます。
noteやブログの存在意義を見失いかねません。

今回の記事では、あえて「知の巨人」たる諸先生方の教えに立ち向かって、どこの誰とも知らぬアマチュアがネットで発信することの意義について検討してみたいと思います。

随分とぶっ飛んだ結論ですが、「玉石混淆でも良いじゃないか」「玉でなくとも、石でも良いじゃないか」というのが現時点での答えです。

構成も内容も覚束なくて、冒頭の指摘をストレートに喰らっても止むなしではありますが、アマチュアなりに考えていることを書いていきましょう。

目次

ネット上での民主主義と平等

インターネットは民主主義と平等に貢献したのか?

これについては検討の余地があるかもしれません。
むしろ格差を広げ、炎上や社会的制裁といった新たな形での言論の不自由が生じている可能性もあります。

しかし、少なくともネット環境と通信機器さえあれば、誰でも情報を発信できるようになったという点では、手段・機会は平等となり、ネットを活用した市民運動も盛んに行われています。

新聞への投書や本の出版等に発信手段が限られていた時代と比べれば、ポジティブに捉えられる部分もあるのではないかと思います。

この環境は有意義に活用するしかありません。
だから、noteやブログで記事を書くのです。

そして、発信したならば、誰かに読んでもらいたくなるものです。
noteをはじめ、SNSやブログが盛り上がりを見せているのは、書き手と読み手が絶えず相互作用しているからだと考えます。

脱ネットへの反論

現代社会は情報過多。
多すぎる情報が現代人にとってのストレスになっている。

……という考えに基づいて、通信機器から距離を置いて過ごす「デジタルデトックス」が推奨されることがあります。

私も実践することがあり、時にはスマホやパソコンから離れる時間も必要だと感じています。

しかし、インターネットから完全に離れて、アナログの情報にシフトするのもまたリスクがあるのではないかと考えています。

そのリスクとは、権威主義に陥ることです。

日常生活からインターネットを切り離すと、残る情報源はインターネットが普及する前のもの——テレビやラジオ、本、新聞、雑誌等になります。
(このほか日常的な会話も選択肢に入ります)

編集・出版の過程を経ているため、情報の信憑性は高いかもしれません。
マスメディアの出演者や出版物の著者は何らかの道のプロフェッショナルであり、知識も経歴も優れているかもしれません。

しかし、盲信は危険。
マスメディアであっても、中立な立場で報道することは難しいですし、専門家にもまた様々な立場があるので絶対的な正解が伝えられるものではありません。
(これを「邪推」と呼ぶのかもしれませんが……)

ネットを断つことで情報源が限られ、視野が狭くなってしまうのは危うくもあると感じます。

石もみがけば玉を凌ぐ

専門家でもない、権威もない、どこの誰かもわからない1ネットユーザーの声。
専門知識の裏付けもなく、信憑性もない。

「ないもの」ばかりの小さな声。
それは「石」のようなもの。
個人的な意見・感想として片づけられてしまうもの。
そのあたりに転がっていても見向きもされないもの。

そうかもしれないけれど、そこに価値がないわけではないと思います。

悪戯でなければ、ネット上の小さな投稿も一つの現実を伝えるもの。
ここでの「現実」とは、誰もが共通して認識する客観的現実にとどまらず、人それぞれの世界観のもとでの多様な現実を含みます。

それを「現実」と呼ぶのか?という問いはありますが、少なくとも「そう思った」というのは事実であり、誰かに否定できるものではありません。

こうした現実はテレビや新聞では取り上げられないもの。
多忙な著名人の目に止まらないものでもあります。

玉のような煌びやかな輝きはないかもしれないけれど、幅広く流通していない希少価値のあるものともいえます。

役に立たないことを書こう

ここでタイトルにかえって、記事を締めくくるとします。

読者にとって「役に立たない」と思って筆が止まってしまうあなたへ、いや、私へ。

「役に立たないと思うこと」こそ書いてみようじゃないか。

なぜならば、「役に立つこと」は既にたくさん発信されているからだ。

需要なんて気にすることはない。
そもそも「役に立つかどうか」は、役に立ってからしかわからないんだ。

時間と労力を掛けて書こうと思った時点で価値がありそうじゃないか。
意味がありそうじゃないか。

獣道に石を置いていくつもりで書こう。
それがいつかどこかのタイミングで道標となるかもしれない。

言葉にして記録するって、そういうことじゃないか?

……なんだかよくわからない終わり方になってしまいました。

実用性に捉われずに気楽に気軽に書くことが大切なのだと思います。

よくぞ、ここまで読んでくださいました。
ありがとうございます!

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この記事を書いた人

属性にとらわれず、自分らしく生きる道を選びました。

音楽やメイクを嗜みます。

ジェンダーレス志向です。
多様性が認められる世の中になることを願っています。

大学院修士課程修了(社会科学系)

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