noteでは、毎日継続して記事を投稿すると、「◯日目!」と何日間連続して投稿したかを示す通知が表示されます。
また、最近では、投稿画面に「連続投稿の継続」という欄が追加され、日単位/週単位/月単位での継続状況を確認することができます。
WordPressの場合も、継続して記事を投稿すると「◯日間の連続投稿記録を更新中です!」と通知が届きます。
こうした仕様は、記事の執筆を習慣化する上でありがたいものです。
継続してきた成果を確認できることは、さらに継続していく上でのモチベーションにつながります。
しかしながら、どれだけ継続を意識していても、日常生活での忙しさなどから「毎日投稿」が途切れそうになることもあります。
それまでに継続してきた期間が長ければ長いほど、途切れさせたくないという思いも強くなることでしょう。
そうした心理が継続を後押しする側面もありますが、一方で継続を意識しすぎることがプレッシャーとなり、無理をしてしまうようであれば本末転倒です。
そこで、この記事ではブログやnoteの「毎日投稿」が途切れそうなときの考え方について書いてみたいと思います。
なぜ「毎日投稿」をしたいのか考えてみる
いきなりではありますが、私は、無理をしてまで「毎日投稿」を継続することはないと思っています。
冒頭に書いたような「通知」はあくまで各種ブログサービスの仕様。
「毎日投稿」が達成できたかどうかは、機械的に判定されるものであり、それが自分自身の執筆ペースと一致しているとは限りません。
「毎日投稿」を続けるためのテクニックとして、
・余裕のある時に記事を書き溜めておいて、日を分けて分散する。
・日付が変わる前に未完成でも投稿しておいて、後で「編集」として加筆する。
……というものがありますが、これらはあくまでシステムに「毎日投稿した」と思わせるものです。
また、noteの場合は、「つぶやき」という機能(140文字以内の投稿)があり、「つぶやき」も投稿として見なされるため、これを利用して投稿継続とするという方法もあります。
しかし、ここで思うのは、そうした方法を用いてまで「毎日投稿」をしたいかどうか?ということです。
確かに継続記録を途絶えさせないように意識することは、記事執筆の習慣化において有効なことですが、一方でシステムの時間に合わせようとすることで自分の執筆ペースが乱れてしまうことも懸念されます。
「間に合わせるための投稿」が多くなり、本来書きたいことが後回しになってしまうかもしれません。
毎日更新を継続できるのは素晴らしいことだと思っています。
しかし、それは本当の目的ではなく、日々の執筆活動の結果が顕れたもののはずです。
なぜ、「毎日投稿」をしたいのか考えてみることは大切だと思います。
無理をしていないか考えてみる
「毎日投稿」が途切れそうなときは、なにか、投稿を継続できない理由があるのかもしれません。
仕事が忙しくて時間がとれなかったり、疲れていたり、精神的に余裕がなかったり。
「どんなコンディションでも継続する」という心掛けは大切なことではありますが、不調のまま継続するのは心配でもあります。
「書きたいのに書けない」と感じるときには、一度、自分自身のコンディションを確認してみることも必要だと思います。
・十分に睡眠はとれていますか?
・リラックスする時間はとれていますか?
よく眠ったら、書きたいことが浮かんでくることもあります。
また、もし日常生活で心配事があるとしたら、記事の投稿よりも心配事への対応が優先されるのは自然なことです。
毎日の継続でなくとも、時々休みながらでも書き続ければ、その方が長期間の継続になっているかもしれません。
「途切れてもいい。いつでも再開できる。」
……と考えると、のびのびと自分らしく文章が書けてきます。
長期的に執筆を継続するためには、機械的に区切られた時間の枠組みで考えるのではなく、自分のペースを保つことが大切ではないでしょうか。
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