言葉は枯渇する

言葉は枯渇する。
しかし、それは、空腹や喉の渇きのような生理的欲求ほど自然に明確に自覚できるものではない。

言葉の枯渇を自覚するのは、たとえば文章を書こうとするときだ。
何かを書こうとしても、何も思い浮かばない。
「何かを書こう」と思っている時点で、自分の中の言葉が不足しているのかもしれない。

言葉は感情と思考から生まれてくる。
書きたいことが思い浮かんでからは、すらすらと言葉が出てくることも少なくない。

水がたっぷり溜まったタンクからは勢い良く水が出てくるのに、残量の少ないタンクからはちょろちょろとしか出てこないのと似ている。
言葉の水勢が足りないと感じるときには、タンクに水を足す必要があるのだろう。

そうだとすれば、読書に終わりはない。
短期間で大量の水を飲んだとしても、その後、一生飲まずに済むわけではないように。
言葉とともに生きていくために必要な言葉を、日々摂取していく必要があるのだろう。

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この記事を書いた人

専門学校講師兼塾講師
大学院修士課程(社会科学系)修了

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