考えすぎてしまう。
ぐるぐると考えて、答えに辿りつかない。
考えても考えても、気分が晴れない。それどころか、考えれば考えるほど気分が沈んでしまう。
そんな思考を経験したことがある方は少なくないのではないかと思います。私はその一人です。
こうした思考に陥ると、なかなかに辛いものですね。
今回は哲学者アランの『幸福論』から、その悩みを軽くしてくれるかもしれない一節をご紹介します。
「大げさに考えるなよ、ことの次第をよくみてごらん。君のようなことはだれだってそうなのだ。ただ不幸なことに、君は頭がよすぎる。自分を考えすぎる。自分が、なぜよろこんだり、悲しんだりするのかを知ろうとする。そこで自分自身にたいしていらいらしている。よろこびも悲しみも自分の知っている理由では、うまく説明がつかないものだから。」
—『アラン 幸福論 (岩波文庫)』神谷 幹夫訳
まずは自分を褒めてみましょう。
君は頭が良すぎる
考えすぎるほどに頭が働いているのでしょう。
しかし、それがかえって悩みを大きくしているのかもしれません。
そこで自分自身にたいしていらいらしている。よろこびも悲しみも自分の知っている理由では、うまく説明がつかないものだから。
「自分のことは自分がよく知っている」と言われることはありますが、実のところ、自分のことでさえ、自分はよく知らないのではないかと思います。
たとえば、体調に関していえば、不調を自覚できる場合もあれば、そうでない場合もあります。
だからこそ、健康診断だったり、通院だったりが必要になります。
しかし、医学の専門家であっても、100%の正確さで身体全体を診断することは難しいでしょう。
さらに、体調の不調であれば、科学的な診断により、ある程度の状態を把握することができるかもしれませんが、社会関係や価値観等の多様な要因に影響を受ける心の不調ともなれば、なおさら説明をつけることが難しくなることでしょう。
安定しない感情な説明をつけようと自分と向き合ったり、じっくりと考えることは大切なことではありますが、蟻地獄のようにもがくほど沈んでいく状態に陥ってしまうのならば、一度、考えることをやめるのも賢明な判断なのかもしれません。
自分も含め、人の心とは簡単に説明はつかないものなのだ、と考えたほうが説明がつかない現状にいらいらすることも少なくなるでしょう。
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