多くのSNSには「いいね」という機能が備わっています。
SNSによっては「いいね」以外の名称を用いている場合もあります。
「いいね」は手軽に使える機能です。
ボタンを1度押すだけで、投稿者に対してリアクションを送ることができます。
「いいね」はその名の通り、基本的にはポジティブなリアクションを表すものでありますが、その用い方は人それぞれです。
そこで、今回の記事では、「いいね」の背景にある心理について考えてみたいと思います。
「いいね」機能の使い方
「いいね」機能の使い方は人それぞれです。
たくさん使う人もいれば、あまり使わない人もいるでしょう。
私はどちらかといえば後者、といいますか、「いいね」機能を少し慎重に使うように心がけています。
具体的に、どのような時に「いいね」するかというと、
- 投稿を読んでから(画像主体の場合は見てから)
- なおかつ、「いいね」と思ったとき
です。
当たり前のように思われるかもしれませんが、「いいね」もコミュニケーションの手段である以上、機械的にではなく、人間としての判断を介して行うべきだと思っています。
「いいね」を押さない心境
前項で書いたようなスタンスを心がけているため、ときには投稿を見ても「いいね」を押さないこともあります。
悪質な投稿に「いいね」を押さないのはもちろんのことですが、特に嫌悪感を抱いたわけでなくても「いいね」を押さない場合もあります。
noteのクリエイターであるakiさんの次の記事には共感します。
記事の内容がいいとか、いまいちとか一旦横に置いといて、
以下は、私が自分の経験から考えた、いいねを押したくても押せない場面での心境です。「いいね」を押したくても押せない心境とは
- 記事の内容が、読み手の心、奥底の気持ちの的を得すぎていて、見透かされているの?もしかして私のこと?ドキドキする内容。
- この記事にいいねを押したら、押した自分が人からどう思われるか不安
- 共通の知り合いのあの人に、いいねを押したことが知られたくない
「いいね」を押すかどうかは、投稿の良し悪しだけで決まるものではないということがわかります。
届いていても反応できない
1つ目に挙げられている「記事の内容が、読み手の心、奥底の気持ちの的を得すぎていて、見透かされているの?もしかして私のこと?ドキドキする内容。」というのは、むしろ、投稿としては優れた内容ともいえるかもしれません。
読み手の心を汲み取ることは、書き手にとって大切なことです。
しかし、読み手の視点に立つと、それがあまりに鋭くて「見透かされている」ような感覚を抱くと、「その通りです」と白状するような怖さがあって、反応を躊躇ってしまう……ひっそりと読んでおきたい……と思うこともあります。
確かに、そういうこともあるなぁと共感しました。
「いいね」だけでは言葉足らず
2つ目・3つ目に挙げられている「この記事にいいねを押したら、押した自分が人からどう思われるか不安」「共通の知り合いのあの人に、いいねを押したことが知られたくない」については、「いいね」が投稿者や他のユーザーから確認できるからこそ生じるものです。
これは、「いいね」がリアクションであると同時に、自分の意思を示すアクションである-コミュニケーションの手段であることにも関係していると思います。
「いいね」は誰かに意思を示せるという点では、コミュニケーションとしての性質をもっていますが、それはかなり限定された条件でのものとなります。
すなわち、「いいね」を押すか押さないかという2つの方法でしか気持ちを示せないということです。
「いいね」には様々な意味があります。
共感した、好き、面白い、勉強になった、応援したい、励ましたい……
多様な感情が一括りに「いいね」という信号として表現されています。
自分以外の他者からみれば、送られた「いいね」にどういった意味合いが込められているかは、想像はできても正確にはわかりません。
そういう意味では、「いいね」だけでは言葉足らずになってしまう部分があると思います。
不十分なコミュニケーションは誤解やすれ違いに繋がりうるもの。
その不安から「いいね」を押したくても押せない場面というのは確かにあります。
「いいね」の手軽さと重み
以上のように考えてみると、手軽に押せる「いいね」にも様々な意味合いがあることがわかります。
「いいね」は心地よいリアクションではありますが、そこから窺えるのはリアクションのごく一部であるということを忘れないでいたいものです。
「いいね」を押すのも、押さないのも、読んでくださる方の自由でいいのです。
「いいね」を押さないけど、過去の記事や他のSNSもすみずみまで調べ、いい意味で、丁寧に読んでくださってる方もいます。
「いいね」を押したくても押せない心境とは
本当に読んでくださってるのがわかる瞬間は、嬉しさと感謝を感じます。
「いいね」に囚われない考え方。大切だと思います。
斜に構えて見れば、「いいね」に囚われることは、SNSへの依存にも繋がります。
ある行動に対してご褒美があれば、その行動をより積極的に取り入れたくなるものです。
この「ご褒美」にあたるのが「いいね」
そして、「行動」は「いいねが貰える投稿」です。
「いいね」欲しさに投稿内容が歪められてしまっては、SNSが自己表現の場ではなくなってしまいます。
「いいね」を求めて表現した「自己」は「自己」といえるのでしょうか……?
SNS批判のような書き方になってしまいましたが、適切にSNSを活用するうえでは、その影響力に飲み込まれないように意識することが必要だと思っています。
決して「いいね」を否定する意図はありません。「いいね」は好きです。嬉しいです。
ただ囚われないこと。それが全てをあらわすものではないこと。
SNSに使われるのではなく、SNSを活用していくという意識を大切にしていきたいものです。
akiさんの次の記事にもとても共感しました。ぜひ併せてご覧ください。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
コメント