ブログやnoteを続けていると、一度は経験するであろう「ネタ切れ」
「何かを書きたいけれど、書きたいことが思いつかない」という状態に、もどかしさや焦りを感じることもあります。
しかし、どれだけ焦っても、思いつかないときは思いつかないもの。
どうにもならない状態に絶望して、気分が落ち込んでしまうのは、心理的にも好ましい状態とはいえません。
それならば、少し見方を変えてみてはどうでしょうか。
今回の記事では、「ネタ切れ」の状態を肯定的に捉え直してみたいと思います。
「ネタ切れ」は書き尽くした状態
ある程度、記事の投稿を続けた上でネタ切れの状態になったとすれば、それは「今、自分が書きたいこと/書けることを書き尽くした」ということなのかもしれません。
私は、ここ数ヶ月、noteでデジタルデトックスやSNSとの付き合い方に関する記事を継続的に書いてきましたが、ある程度書き続けてくると書きたいことがなくなってきました。
もちろん、もっと掘り下げて考察していけば、書くべきことは見つかるかもしれませんが、それが自分の書きたいことと一致するとは限りません。
文章を書くということは、自分の中にある想いを言語化していくということ。
心に浮かぶ想いが一通り言語化されたら、「書きたいことが思いつかない」のは自然なことです。
無理をして書きたいことを見つけようとするのではなく、書きたいことが浮かんでくるのを待つということも時には必要なのではないでしょうか。
自分のなかで一旦答えが出た
文章を書くことは、考えることと連動しています。
「考えて書き、書きながら考える」ということを繰り返しながら、言葉を紡いでいき、そのまとまりが一つの記事として完成します。
そして、考えるためには問いが必要。
「書きたいことが思いつかない」ということは、つまり、「考えようとすることが思いつかない」ということであり、それはすなわち「問いが思いつかない」ということでもあります(もちろん、問いがあっても、思考が進まないという場合もあります)。
この「問いが思いつかない」状態というのは、見方を変えれば、今まで書いてきたテーマに関して一定の答えが見つかったということでもあります。
その答えは絶対的で永続的なものではないかもしれませんが、一旦、落ち着ける立ち位置を見つけることができたとすれば、それは喜ばしいこととも言えるのではないでしょうか。
ネタ切れは新たな出発点
以上のように考えてみると、ネタ切れとは必ずしも由々しき停滞状態ではないと思えてきます。
むしろそれは新たなスタート地点。執筆の幅を広げるタイミングなのかもしれません。
今まで目を向けてこなかった分野の本を読んでみたり、自分と違った考え方をもつ人の主張にふれてみたりと、なにか新しいことにチャレンジしてみるワクワク感さえあります。
ネタ切れに絶望することはありません。また新たに歩き出してみようではありませんか。
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