*アイキャッチ画像:BeateによるPixabayからの画像
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。
しかし、経験に学ぶことは本当に「愚か」なことなのでしょうか?
このように考えるのは、私自身が「愚者」だからかもしれません。
それでも構いません。
愚者ならば愚者なりに、考えることを綴ってみようではありませんか。
経験は自分だけの、自分のための学びを与えてくれる
経験に学ぶことの危うさとは、視野が狭くなってしまうことです。
自分が経験したことだけを頼りに考え行動していては、ときに判断を誤ってしまうこともあるかもしれません。
経験に学ぶということは、自分が経験した範囲という限られた情報源に依存することでもあります。
それと比べれば、長い歴史という膨大な情報源からのほうが学べることも多くなりそうです。
しかし、情報は多ければ良いというものではありません。
さらに、量より質ということでもありません。
一番大切なのは、今の自分に合っているかどうかです。
自分だけが持っている経験からは、自分に合った学びを得ることができます。
自分だけの、自分のための学びの源。
そう考えると、経験からの学びも決して無駄なことではないと思えます。
歴史は経験の蓄積
屁理屈と言われてしまうかもしれませんが、歴史とは人類の経験の蓄積です。
人類という大きな括りでみれば、人類はこれまでにたくさんの経験を積み重ねてきました。
ときに失敗し、そこから学び、歴史を築き上げています。
さらに、個人の経験の蓄積は、その人にとっての歴史でもあります。
いわばライフヒストリーというものです。
そうなれば、「愚者」が学ぶ経験もまた一つの歴史であり、「賢者」が学ぶ歴史もまた一種の経験であるということになります。
これは言葉遊びかもしれませんが、自分史という小さな次元での「歴史」のなかにも学びが潜んでいるように思えてなりません。
経験も歴史も、振り返ることの大切さは同じ
経験に学ぶことは、自分自身を省みて、そこから学ぶということです。
よく言われるPDCAの流れと同じ。
行動を点検し、改善していくという習慣の大切さについては、今や一般的に認識されていることでしょう。
経験も歴史も、振り返ることの大切さは同じ。
その次元が異なるだけです。
大きな視野で振り返るのが「歴史」から学ぶことであり、小さな視野で振り返るのが「経験」から学ぶことであると理解できます。
「小さな視野」「狭い視野」というと、ネガティブな意味合いで用いられることが多いですが、小さいからこそ、狭いからこそ、実用的なところはあります。
“Think globally, act locally”という言葉もあるように、すぐに行動に移せる学びはlocal =身近なところにあるのかもしれません。
おわりに
以上、愚者としての自覚をもちながら、愚者なりに「経験」から学ぶことの意義について考えてみました。
歴史から学ぶことも大切なことではありますが、それと同様に、経験から学ぶことも大切にしていきたいものです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
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