「アウトプットのためのインプット」の落とし穴 — 井の中の蛙、大海を覗く

Old well beside Paisley Abbey

note や ブログで書くことに悩んだときのアドバイスとして、「インプットを増やす」というものがあります。

確かに、「書くことがない」という状態に対して、素材となる知識やアイデアを補充するという方法は理に適ったものといえます。
また、アウトプットを意識することによって、インプットの質が高まるというメリットもあります。

しかしながら、この「アウトプットのためのインプット」にも留意点があります。

今回の記事では、クリエイターやブロガーにとってのインプットのあり方について考えてみたいと思います。

目次

「アウトプットのためのインプット」の落とし穴

アウトプットを前提としたインプットの落とし穴とは、アウトプットを意識しすぎるあまりにインプットの内容に偏りが生じてしまうことです。

つまり、アウトプットできることばかりをインプットするようになってしまうということです。

その結果、読みやすいものばかりを読む、記事として言語化しやすいものばかりにふれる……といったことには注意しなければならないと思います。

インプットの種類

私が考えるに、インプットにはいくつかの種類があります。

簡単に分けるならば、①アウトプットしやすいもの、②アウトプットしにくいもの。

「①アウトプットしやすいもの」とは、その人の知識レベルと同等あるいはそれ以下の量・質の情報や文章のこと。たとえば、専門分野に関するものなど。

こうした情報や文章は、前提となる知識が十分にあるために、アウトプット・インプットともにスムーズに進むことでしょう。

「誰かに伝える」ということを考えると、①アウトプットしやすいものに多くふれていくことにも意義があります。
詳しいからこそ、うまく咀嚼し、わかりやすくアウトプットすることができるでしょう。

しかし、自分自身の成長ということを考えると、これだけでは物足りなく感じられてきます。
なぜならば、①アウトプットしやすいもの とは、すでにその人にある程度の知識が定着しているからです。

これだけで満足をしてしまうと、限られた広さの世界に小さく収まる「井の中の蛙、大海を知らず」の状態になりかねません。

そのため、②アウトプットしにくいものも、食わず嫌いせずに摂取していくことが必要だと考えます。

それでは、②アウトプットしにくいものとは?

これにはまたバリエーションがあります。

2つほど挙げるならば、(a)専門外の情報や文章、(b)直ちに言語化しにくい抽象的体験・非言語的体験です。

アウトプットしにくいものにふれてみる

上に挙げた2つのアウトプットしにくいものについて書いてみます。

(a)専門外の情報や文章

「専門」という言葉を使うとおおげさに感じられますが、実際には誰もが「専門」をもっています。
「専門」ではなく、「得意」と置き換えても良いかもしれません。

それは学問領域や業種・職種のような「専門」であったり、文体や作風が合う・合わないというような次元での「専門」「得意」であったりします。

上述のアウトプットしやすいものと対照的に、前提となる知識が十分に無いために、専門外の情報とは書きにくくあり、読みにくいものでもあります。

こうした情報や文章にふれることは、挑戦であり、修行・遠征のようなイメージもあります。

自分自身の成長ということを考えると、チャレンジングなインプットをしてみることにも意義があるのではないかと思います。

(b)直ちに言語化しにくい非言語的体験・抽象的体験

note やブログで文章を書くためには、文章によるインプットを行うと効率が良いです。
その中でも、文章が具体的な内容を表すものであればあるほど、引用が容易く、記事の素材としやすいことでしょう。

しかし、世の中には直ちに言語化しにくい非言語的体験・抽象的体験もあります。

非言語的体験とは、たとえば、音楽や映像、実体験。
これらは、言語で表現されていないため、表現するための言葉を自分自身の力で紡がなくてはなりません。

抽象的体験とは、抽象的な表現にふれること。
「表現」には言語的表現も含まれ、この場合には「読書体験」という抽象的体験となります。

たとえば、小説や詩歌、哲学的な文章等を読んだり、話を聴いたりすることです。

これらは言語化されてはいるものの、体験を通じて感得したものは心の中に、もちろん目に見えない形で浮かび上がるため、上に書いた非言語的体験と同様に、自分自身の力で言葉を紡いでいくことが必要になります。

「書いてあることはわかるけど、言葉にできない」
「思うこと・感じることがあるのに、言葉にできない」

……といった状態になることもあります。

「わかるけど、書けない」状態も必要

教育の現場で「わかる と できる は違う」と言われることがあります。

説明が「わかる」だけでは不十分、問題を解いたり文章を書いたり「できる」ようにならなければならない……といった話です。

確かにそう。
「わかる」はその人の中で完結するが、「できる」は他者からも観察可能な状態。
他者から評価されるためには「できる」という観察可能な状態にしなくてはいけない。

しかし、「できる」ためには「わかる」ことが必要です。
つまり、「わかるけど、できない」状態も、「できる」ようになるまでの過程では必要なのだと思います。

今回の記事の内容にあてはめれば、「わかるけど、書けない」状態も必要ということ。
直ちに言語化・記事化できないものをインプットすることにも意義があると思います。

井の中の蛙、大海を覗く

アウトプットしにくいものにふれているときの感覚を表現するならば「井の中の蛙、大海を覗く」です。

大海に泳ぎ出していくほどの力はまだないかもしれないけれど、井の外に果てしなく広がる世界を見つめているようなイメージです。

これは決してネガティブなニュアンスではなく、むしろポジティブな意味も含んでいます。

まだまだ知らない世界がある。まだまだ言葉にできない概念がある。
そう思うとワクワクしてくるものです。

井の外は蛙が生育できる環境ではないかもしれない。
けれども、井の外に飛び出ていくことで適応して新たな進化を遂げるかもしれない。

既知の世界に小さく収まらず、時には勇気を出して未知の世界へと足を踏み入れていくことも必要なのではないかと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

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この記事を書いた人

属性にとらわれず、自分らしく生きる道を選びました。

音楽やメイクを嗜みます。

ジェンダーレス志向です。
多様性が認められる世の中になることを願っています。

大学院修士課程修了(社会科学系)

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