読書の意義は、知識を得られることだけではない。
読書の目的は、そこに書かれている内容を覚えることではない。
一度読んで、忘れてしまっても構わない。
その時、その瞬間に、読んでいる体験それ自体が大切なのだと思う。
「事実は小説より奇なり」
というけれども、日常すべてが「小説より奇」であるというわけではない。
事実のなかに、「小説より奇」なものがあるだけだ。
奇なるものに遭遇できる確率は、日常のなかでも読書中のほうが高いだろう。
日々の生活で、待っているだけでは面白いことには出会えない。
「書を捨てよ町へ出よう」
といわれても、感受性が乏しければ、ただ町に出るだけで終わる。
著者の感受性と言語化能力を借りて、気づきと学びを得るためにも書を捨てることはできない。
そうだ。なぜ本を読むのか。
それは、気づきと学びを求めているからだ。
本に書かれていることを覚える必要はない。
すぐに誰かに説明したり、活用できなくてもいい。
思い出したければ、また本を開けばいい。
大切なのは、読むことを通じて、頭と心を動かすことなんだ。
そう考えると、本を読むことへのハードルも下がる。
頭に入ってこない、覚えられない……と悩む必要もない。
読んでいて、面白いと思えればそれで十分。
頭と心に刺激が加わって、何かを思いつき、そこから自分なりに言葉を紡いでいく……
そんな着火剤のような役割を本は担ってくれるのだろう。
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