読書は中断しながら進めるべきだ

脇目も振らず、ひたすら集中して本を読む。
集中しすぎたあまり、気づいたら一冊を読み終えていた。

それはそれで良い読書体験だと思う。
けれども、中断しながら進める読書も悪くないものだ。
むしろ、読書とは中断しながら進めるものなのではないかとさえ思う。

読書とは書き手の思考に身を委ねることである。
つまり、「気がつけば一気に一冊を読み終えていた」ということは書き手の思考に完全に支配されたともいえる。
ただし、必ずしもそれが悪いことというわけでもない。
よい支配者には喜んで従いたいものである。

しかし、ここで言いたいのは、すべての本について従順に従う必要はないということだ。
某国の首相がころころと変わるように、支配者はすなわち完全無欠な存在であるというわけではない。
完全に従順であるということは、本に書かれたことを鵜呑みにすることを意味する。

読書の中断とは、書き手の思考から一旦距離をおくことを意味する。
ただし、距離をおくことは、反抗することと同義ではない。
書き手の思考と自分の思考を線引きして、一歩離れて考えることである。

読書中に気が散るというのは、一旦読書を中断せよというサインなのかもしれない。
中断後の行動は、家事や仕事を片づけるなどの読書と無関係のことかもしれないし、メモをとることかもしれない。

読書中にとるメモは、その本の記述に関するものかもしれないし、一見すると無関係に思えるものかもしれない。
「一見すると」と書いたのは、無関係のようにみえて、実は無関係とも言い切れないからだ。
脳内での情報の関連付けは、我々が認識できる領域を超えることがある。
自分でも追えないくらいの段階を踏む連想ゲームの結果、導き出されたアイデアが、一見すると無関係に思えるメモにあらわれることもある。

ふと思いついたことは、脳内のブラックボックスを通過して出てくるものであり、時間が経てば忘れてしまう。その場で捕まえておかなければならない。
だから、読書は中断しながら進めるべきだ。

ひらめきはその場限り。
本の続きはまたいつでも読める。

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この記事を書いた人

専門学校講師兼塾講師
大学院修士課程(社会科学系)修了

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