ポジティブかネガティブか。
どちらかといえば、私はネガティブな性格です。
日々、悩みや不安は尽きません。
このように書いてしまうこと自体がネガティブであるとも言えます。
「ネガティブなことは言葉にしない方が良い」と言われることはありますが、無理をして思いを押し込んでポジティブに振る舞うことは悩みや不安から目を背けることでもあります。
だから、今回は「ネガティブな思考」について掘り下げて考えてみたいと思います。
ネガティブのスパイラル
一度ネガティブな思考に陥ると、それは連鎖して気持ちをどんどん沈めていきます。
何をしても楽しめない。
自分が自分であることが嫌になっていく。
世界が薄暗く見えていく……
そして、そうした自分や世界の見え方がより一層ネガティブな思考を深めていきます。
このような経験はありますでしょうか。
私はしばしばこの状態に陥ります。
悩んでもがいても、一向に光が見えない……
苦しい時間です。
光はないのか?見えないのか?
ここで考えたいのは、自分やその周りが闇に包まれているように感じるとき、「そこに光はないのか?」ということです。
前項で「光が見えない」と表現したように、光は「ない」のではなく、「見えない」のかもしれません。
noteのクリエイターである陽だまりさんの記事にヒントを見つけました。
私も普段の生活で変化を感じる事ができず、「判で押したような日常」から、本当はそこにある小さな変化に気付けず、大切な事を見逃しているんじゃないか?
そう思ったのです。引用元:陽だまりさん「目線の先」
一度、負のスパイラルに陥ると、不満なことばかりに目がいって、大切なことに気づけない。
世界は、人は、多面的であるにもかかわらず、視野が狭くなってしまってよくないことばかりにフォーカスしてしまう。
結果、自分にとって悪い結果を引き寄せてしまうことも多いんだなって。
「世界は、人は、多面的」
ネガティブな思考に陥っているときは、多面の中の一面にしか目が向いていないとき。
見えていない別の面には心を照らしてくれる光があるのかもしれません。
ドミナントストーリー
ここまで書いてきて、「ドミナントストーリー」という言葉を思い出しました。
ドミナントストーリーとは、悩んでいる人が思い込んでいる物語のことです。多くは自分に対して否定的なものであり、悩んでいる人はその物語に支配されて(ドミナント)、変えることができないと信じ込んでいることもあります。
引用元:「日本の人事部」
人は自分自身の人生について意味づけをしながら生きています。
第三者の視点からみた客観的な人生と、その人自身が解釈する主観的な人生は異なるものです。
どれだけプラスな出来事があったとしても、その人自身がプラスと解釈しなければ、あるいは、そもそもその出来事に気づかなければ、主観的な人生観はプラスとはならないということです。
「悩んでいる人が思い込んでいる」とされるドミナントストーリーとは、マイナスな記憶の蓄積。
悲劇的な小説が、悲劇的な場面ばかりを描写するように、悲劇的な人生の物語では悲劇的な記憶ばかりが想起されます。
物語に含まれなかった部分には、「良いこと」も起こっていたのかもしれません。
ただし、つらい経験がつらいものであることには変わりません。
人生のどこかに「良いこと」があったかもしれないとはいえ、「つらい人生」を直ちに「思い込み」としてしまうのは少し強引にも思います。
そのため、個人的には一つの思考の枠組みとして捉えるようにしています。
多面的に見るということ
以上、ネガティブを自覚する私が、いつもよりもややポジティブな視点から「ネガティブ思考」について考えてみました。
ネガティブな自分とポジティブな自分。
感情で生きる自分と理性で生きる自分。
これもまた多面性といえますでしょうか。
一般的にはネガティブなものよりも、ポジティブなものが好まれることがありますが、私はネガティブとポジティブは併存するものだと思っています。
確かに「年がら年中ポジティブに」とはいかないのでしょうが、あまりに負の側面にばかり捕われていると、心がひねくれていくんじゃないかって、そんな風にも思ったのです。
引用元:陽だまりさん「目線の先」
今回の記事は、負の側面ばかり見てしまう場合について考えてきましたが、実のところ、正の側面ばかり見てしまう「常にポジティブ」の状態も、必ずしも良いものとは言い切れないのではないかと考えています。
現実と向き合おうとするときには、悲観的な態度も必要になります。
大切なのは、ネガティブにもポジティブにも偏り過ぎないということ。
「それが難しいんじゃないか」というのはごもっとも。私自身もそう思います。
難しい。だからこそ、気持ちが落ち込むときには少しだけ視点を変える意識をもちたいものです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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