「習慣」や「継続」は大切なこと。
そういったイメージが、一般的に少なからずあります。
しかし、このイメージを鵜呑みにしたり、誤解するのは危うくもあると最近考えるようになりました。
時には、「習慣」を疑ってみることも必要なのかもしれません。
今回の記事では、あえて「習慣」を疑う考え方について書いてみたいと思います。
「習慣」にも種類がある
まず、注意しておきたいことは、「習慣」という言葉は幅広い意味をもつということです。
大辞泉には、「習慣」の意味について、次のような説明があります。
1 長い間繰り返し行ううちに、そうするのがきまりのようになったこと。「早寝早起きの―」
2 その国やその地方の人々のあいだで、普通に行われる物事のやり方。社会的なしきたり。ならわし。慣習。「盆暮れに贈り物をする―がある」
3 心理学で、学習によって後天的に獲得され、反復によって固定化された個人の行動様式。
『デジタル大辞泉』 — 「習慣」の説明
これらの説明を読むかぎり、「習慣」という言葉はもともとポジティブなニュアンスを含むものではないことがわかります。
(一方で、ネガティブなニュアンスを含むものでもありません)
ただし、人によっては、2の説明にある類語「ならわし」「慣習」といった言葉に懐疑的な姿勢をとる方もいることでしょう。
良い「習慣」か悪い「習慣」か?
……というのは、それが「合理的な習慣」か「合理的ではない習慣」か?によるものだと考えます。
「合理的」かどうかは人それぞれ
この「合理的」かどうか?というのも、人それぞれだと思います。
そもそも「合理的」とは、どういうことか?こちらも、大辞泉で調べてみましょう。
1 道理や論理にかなっているさま。「—な自然界の法則」
2 むだなく能率的であるさま。「—な処置」
『デジタル大辞泉』 — 「合理的」の説明
それでは、道理とは?論理とは?と考えていくときりがないので、深掘りはやめておきますが、少なくとも道理や論理が異なれば、それらにかなう「合理的」なことも変わってくることになります。
科学的に合理的でなかったとしても、その人の道理や論理にかなうものであれば、「合理的」であるといえるのかもしれません。
(さらに言えば、合理的であることを絶対的に良しとする考え方にも疑問が残るものではあります)
ビジネス書などでは「習慣」が推奨されることがありますが、道理や論理が異なるのであれば、推奨された習慣がその人にとっては合理的ではないということも考えられます。
同じ人でも状況によって「合理的」な行動は変わる
人は独立して存在するのではなく、常に環境と相互作用しながら生活しています。
人と環境は切っても切り離せない関係です。
そして、人も環境も絶えず変化を続けています。
ということは、ある一時点において合理的とされた行動が、状況の変化によって合理的でなくなることも十分に考えられます。
つまり、同じ人であっても状況によって「合理的」な行動は変わっていくということになります。
このように考えていくと、「継続」という言葉についても慎重な姿勢で考えてみる必要があるのかもしれません。
合理的な継続と勇気をもった中断
ある行動が合理的であるかどうかは、その時々の状況によって変わる。
そうした前提に立つと、継続するか否かという判断も状況に応じて行うことが大切だと思えてきます。
状況の変化によっては、勇気をもって継続を中断したり、行動様式を変更することも必要です。
(「状況によらず継続することが大事」という考え方を否定するものではありません。この考え方もストイックで大切なものだと思います)
PDCA のP,C,A を忘れずに
話がまとまらなくなってきましたが、結局のところ、PDCAサイクルの考え方が大切なのだと思います。
なかでもP,C,Aの部分です。
C = Check とは、これまでの行動を振り返る段階、A = Action とは、C での振り返りを踏まえ改善案を検討する段階、そして、P = Plan, D = Do は改善案をもとに新たな計画を立てて実行に移す段階です。
もし、習慣の継続が Do, Do, Do, Do… になってしまうと、状況の変化に適応することができません。
いまの習慣が現状にあったものであるか、点検することが必要だと考えます。
以上、「習慣」を疑う考え方について書きました。
とはいえ、PDCAサイクルもまた一つの「思考習慣」であるため、自己矛盾する点は否定できません。
少なくとも、絶えず考え続けることが大切なのだと思います。
(これもまた一つの「習慣」ですが……)
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
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