有名な寓話「北風と太陽」について、私は誤解をしていました。
「太陽の勝利」というイメージが強すぎたのです。
よく考えてみたら、北風も負けていない……
太陽 vs 北風 の勝負は1対1の引き分けでした。
北風の勝利
1回目の勝負です。
北風と太陽は、「旅人の帽子をとること」を勝利条件としました。
北風はズルい。
しかし、よく考えてみれば、太陽もズルい。
どちらも、片方が有利な条件で勝負を仕掛けているのです。
太陽の力で帽子をとる方法が思いつきません。
仮に「旅人に帽子を被らせる」ことならば、太陽にも勝ち筋はあります。
太陽は日差しを強くすればいい。
北風も冷たい風を吹かせる力があれば、防寒のために帽子を被らせることもできます。
「帽子を被らせる」勝負の方がフェアだったりして。
太陽の勝利
2回目の勝負の勝利条件は「旅人の上着を脱がすこと」でした。
後になって考えると太陽がズルい。
北風が吹いたら上着を着るのは当然です。
そもそも、なぜ「北風」と「太陽」に勝負をさせたのだろう?
「風」と「太陽」で、「風」に南風も吹かせる能力があれば、暖かさで上着を脱がすこともできたかもしれません。
勝利条件も「旅人に上着を着させること」だったら、そして「太陽」に日差しを弱める力があれば条件はフェアになります。
太陽は日差しを弱めて、北風は冷たい風を吹かせて寒くすればいいでしょう。
「北風と太陽」の教訓は?
いくつか仮の設定を考えてみましたが、もともとの寓話でも結果は引き分けです。北風1勝・太陽1勝。
そうだとしたら、この「北風と太陽」が伝えたかったことは何だろうか?
以下の記事の解釈がわかりやすかったです。
教訓は、「状況に適した手段を選ぶ」こと
何事においてもそのつど適切な手段を選ぶことが肝要であるということだ。旅人の帽子をとるには北風が適していた、上着を脱がせるには太陽が適していたということだ。要するに臨機応変の大切さを説いている。
https://toyokeizai.net/articles/-/205942?page=2
誤解していました。
太陽の勝利ばかりが印象に残ってしまい、「人に行動させるには北風のように力づくではなく、太陽のように暖かく」とばかり思っていました。
北風であり、太陽でありたい
そもそも、寓話では北風と太陽を別々のキャラクターとして扱っていますが、「天気」という一つの存在でとらえれば、北風の力も太陽の力も使えることになります。
上で引用した記事では「臨機応変」という言葉が使われていますが、この解釈にもとづけば、人は「北風」にも「太陽」にもなれることになります。
北風のような強さも、太陽のような穏やかさもどちらも必要。
強行手段を肯定するものではありませんが、状況によっては北風のような力強い姿勢が求められることがあります。
時には力強く、時には穏やかに
私は「穏やかな人だ」と言われることがあります。
話したり、文章を書くときも、穏やかな表現を心掛けてはいます。
しかし、時には力強い表現が必要になることもあります。
たとえば、世の中に対して疑問を投げ掛けたいとき。
意見が分かれる主張をしたいとき。
言葉を荒げるつもりはなくとも、北風のように冷たく、冷静に主張しなければならないときがあります。
太陽のような温かさでは伝えきれないこともあります。
世の中には、はっきりと物事を主張できる人がいます。
その鋭さゆえに批判の的になることもあるでしょう。
しかし、それだけのエネルギーを伴わなければ伝わらないこともあるのだと思います。
自分のなかの「北風と太陽」、どちらも大切にしていきたいものです。
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